適応障害と生きていく

適応障害で休職している間の出来事をタイムリーに綴ります。

自分がどうしたいか

自分がどうしたいかを1番に考えてください。

 

と医師や相談相手に言われた事はありませんか?

 

しかし筆者はそう言われる度に思う事がある。

 

その判断がつかないから、話をしているのに。と…

 

適応障害に陥った結果、自分をさらに責めて存在意味すら分からなくなり

 

何から手をつけて良いのかも分からない。

 

筆者は、もともと適応障害に陥るタイプは物事を深く考えるタイプだと思っている。

 

物事を深く考えるタイプの人間が

 

ひとりきりで

 

悩んで悩んで悩んで悩んで

 

それでも答えが出せない。

 

どうにか助けて欲しい。

 

藁にも縋る思いで相談をした方も少なくないのではないだろうか。

 

しかしその回答が

 

自分がどうしたいかを1番に考えて、自分のやりたいようにやりなさい。

あなたの人生なのだから、好きなように生きて良いんですよ。

 

の確率が高過ぎる気がしてならない。

 

これって納得いきますか?

 

腑に落ちますか?

 

確かに救われる人もいるのかもしれない。

 

なのでここからは、あくまで筆者個人の意見だが

 

この回答では、ただただ突き放されてしまった気持ちになってしまう。

 

一見ポジティブな回答に聞こえるが、ネガティブに考えてしまう思考が強くなっている状態では到底プラスに受け取る事は出来ない。

 

結局は自分ひとりでなんとかするしかない。

 

当たり前の事なのかもしれないが

 

正直、当人はかなり辛い状況に立たされている。

 

目に見えないものと、毎日闘っている。

 

風邪に対して風邪薬があるように

 

適応障害に対しても

 

何か救済処置があって欲しいものだ。

 

好きで適応障害を抱えているわけではない。

 

出来る事なら今すぐにでも健常者に戻りたい。

 

だからせめて

 

無責任な事は言わないでくれ。

 

 

 

健常者のお前に何が分かるんだ。

 

 

 

と思ってしまうから。

 

そう思ってしまった自分を

 

また責めてしまうから。

 

このブログを読んでくださった皆さまは、どうお考えだろうか。

 

ではまた。

フケが大量発生(適応障害から併発)

今回は適応障害と併発して起きた症状について綴ろうと思う。

 

タイトルの通りなのだが

 

フケが大量に発生した。

 

え!?それだけ?

 

と思うかもしれないが

 

この情報が頭にあるのと無いのでは、いざ症状が出た時の心構えが全然違うと思う。

 

フケの主な原因は乾燥や頭皮の汚れ、汗や皮脂などが想像出来ると思うのだが

 

なんと、ストレスからのフケの発生もあるようだ。

 

筆者は冬は乾燥肌で夏は脂ギッシュという、とても悲しい皮膚の持ち主なのだが

 

症状が出たのは確か去年のクリスマス辺り。

 

外出の予定があり、朝からシャワーを浴びた。

 

そしていつも通り髪を乾かして、髪の毛に整髪料を付けようと髪をかきあげた瞬間

 

パラパラパラパラ

 

パラパラパラパラ

 

まるで雪のように大量のフケが落ちた。

 

一緒、全く状況が掴めなかった。

 

シャワーを浴びた後なのにどういうこと!?

 

恐る恐る再度頭をかいてみると

 

見た事のないくらい大きいフケまでボロボロと落ち出した。

 

サイズとしては1cm四方くらい。

 

適応障害になったばかりでただでさえ落ち込んでいたのに、体まで壊れてしまったのかと気分がドン底まで落ち込んだのを覚えている。

 

その日の約束は無しにしてもらい、ネットで色々調べて過ごした記憶がある。

 

結局、黒いTシャツを敷いてその上で思い切り頭をかいてみたら

 

Tシャツが真っ白になるくらいの量のフケが落ちた。

 

その後、これといった解決法は見当たらなくひとまずフケに効くシャンプーを調べて購入。

 

1週間後には大分落ち着いてきたが、今でもストレスが溜まってくると症状は軽く出てしまう。

 

純粋に体がおかしくなってしまったのかという恐怖もあるが、適応障害で休職していて転職も視野に入れて動いていた時期だったので、面接があるのにフケだらけだったらどうしようと本当に焦ったのを覚えている。

 

精神的にダメージを受けると少しずつ体にも異変が起きてしまうので、皆さまもお気を付けください。

 

気を付けようが無いのは重々承知の上ですが。

 

また他にも適応障害と併発した病気について書いたことがあるので、お時間があれば合わせてご覧ください。

 

口唇ヘルペス適応障害から併発)

https://a-d.hateblo.jp/entry/2019/05/30/231914

 

ではまた。

存在

まさかこんな事で元気がでるとは。

 

筆者は以前、インスタグラムをやっていたのだが

 

とある会社の事情により、鍵を掛けなければいけなくなってしまった。

 

当時勤務していたブランドの商品を載せていたので、とても悲しかったが

 

仕方なく鍵を掛けた。

 

そこから約4年。

 

最近、久しぶりにちょこちょこ投稿し始めている。

 

もう退職しているので、鍵は必要無くなった。

 

すると、知らない人からももちろんいいね!が貰える。

 

これはとても気持ちが満たされる。

 

自分が存在している気持ちになる。

 

そしてもっと嬉しかったのが

 

かなり以前にお世話になった上司や近くのテナントにいた友人などからのコメントだ。

 

筆者はどこか、ずっとひとりぼっちだと思っていた。

 

今も変わらず

 

生まれた時も死ぬ時も、人はひとりぼっち

 

そう考えているが。

 

そう考えているのは筆者だけで

 

周りには筆者をしっかりと認識して、声を掛けてくれる人達がいる。

 

まさかインスタグラムの投稿をしただけで、こんなに暖かい気持ちになれるとは思わなかった。

 

やはり、生きている事に意味はある。

 

そして、頑張って来た事は事実だし裏切らない。

 

そう思えた。

 

職探しは相変わらず難航しているが

 

今を一生懸命生きよう。

 

今もがいて

 

今何も実らなくても

 

きっと無駄なことは無い。

 

だから

 

この記事を読んで下さった方も、もちろん無理にとは言わないが

 

一緒に今を一生懸命生きてみましょう。

 

そんな提案はいかがでしょうか。

 

筆者がお手本になれるように

 

一生懸命、結果を出します。

 

ではまた。

仕事が無い

筆者はかなり焦っている。

 

前回、転職するさいは休職こそ半年とったが

、やると決めてからは1カ月弱で転職に成功した。

 

なので今回もスムーズに行くと見込んで、猶予のある3カ月の内

 

1カ月目は療養

 

2カ月目前半は転職先を絞る

 

2カ月目後半から履歴書を送付し

 

3カ月目前半で内定をもらう

 

3カ月後半で休職期間満了で退社

 

翌月入社

 

というスケジュールを立てていた。

 

がしかし

 

今まで約10年間アパレルの道を歩んできているため、今回探している事務職だとなかなか筆者の求める条件の企業が無い。

 

これはかなりの誤算だ。

 

というか考えが浅はか過ぎた。

 

ただでさえ5月の後半から6月の頭は謎の倦怠感に襲われて何も出来なかったので、ツケもまってきている。

 

年収を落とせばあるにはあるのだが、なかなか踏み切る事が出来ない…

 

年収が100万変われば、生活水準も大きく変わる。

 

元の年収が1000万あればさほど問題ないが、もちろん筆者の年収はもともと500万以下だ…

 

そこから100万落ちるのはかなりキツい。

 

年齢的にも。

 

なんて事だ。

 

ここでやはり復職が頭をよぎる。

 

仕事自体はまだまだ覚えなければならない事はたくさんあるが、楽しいと思える瞬間もあった。

 

しかし、あの職場に戻って

 

長い間お休みをいただいてしまい、申し訳ございませんでした。

 

30人近くいるスタッフ全員にして、ストレスの元凶となったトレーナーの下でやっていくのかと考えると震えが止まらない。

 

なんでこんな事になってしまったんだ。

 

同期は3人いて、それぞれトレーナーが付く。

 

ただよりによって筆者に付いたのが、1番曲者のトレーナーだった。

 

お局かつ権力者。

 

誰も何も言えない。

 

なんでこうも付いてないのだろうか。

 

試練なのかとも思った。

 

だから立ち向かって頑張ってみたけど

 

心が折れてしまった。

 

筆者は必要とされてない事にとてもストレスを感じる。

 

そのトレーナーはそういった態度や言動が多かった。

 

一生懸命やっても、褒められる事はない。

 

あなたの仕事は楽じゃない?

代わりはいくらでもいるのよ。

全然出来てない。

この前教えたよね?

ガッカリした。

 

必死にメモ取っていたら、メモを取るな!と言われたのが衝撃的だった。

 

社会人になって10年。

 

メモを取れと言われた事はあるが、メモを取るなと言われた事はなかった。

 

どうして良いか分からなくなった。

 

今までの自分が

 

今までやってきた事が

 

全部間違っているように感じた。

 

何のためにここに居るんだろう。

 

そう思った時には

 

もう心は折れていたのかもしれない。

 

話はそれてしまったが、とにかく転職先を探すとしよう。

 

ではまた。

勧誘

今日は会社へ書類を提出する用事があり

 

郵便局へ向かった。

 

しばらく家を出ていなかったせいか、ただ道を歩くだけなのに誰かに見られているような気がする。

 

これも症状なのだろうか。

 

調べて考え出すと落ち込みそうなので、今は考えないようにしよう。

 

適応障害を発病する前はファッションが大好きで、ちょっと出掛けるのにもコーディネートを考えるのが楽しかった。

 

今は何を着ても似合っていない気がして、鏡を見ると悲しくなる時がある。

 

それはさておき、郵便局に着くとなんと9人待ち…

 

ささっと済ませる気持ちでいたので、ただ番号札を取って待つだけなのだが油汗がじわっと出てくる。

 

少し前から予想外の事が起こると、汗が止まらなくなってしまう。

 

それでもなんとか平静を装い、やっと筆者の番号が呼ばれた。

 

特に難しい事はなく、書類を渡して終わるはずだったのだが

 

何故か局員が、遠回しに投資信託の勧誘を始めた。

 

隣の窓口もその隣も、かなり混み合っていて忙しい状況なのにだ。

 

軽めの紹介で終わるかと思いきや、約15分ほど拘束されてしまった。

 

何故この出来事を綴ったかというと

 

この時筆者が何を思っていたかがポイントである。

 

筆者は全く興味が無い内容なので、すぐに帰りたかった。

 

しかし、帰る事はおろか話を最後まで聞いてしまった。

 

これは非常に適応障害に陥った時に似ていると感じた。

 

本当はそう思っていないのに、自分の気持ちに嘘を付いて合わせる。

 

もっと言えば、ここで断って帰ったらこの人はどう思うだろう。

もしかしたら、仕事でやっているだけかもしれないが、良かれと思って情報提供をしてくれてるのかもしれない。

もしくはノルマがあって、きちんと勧誘をしているかを見られているのかもしれない。

もしそうだとしたら、勧誘はしっかりと行ったが、ニーズに添わなかったので断られた。といった状況を作った方が良いのだろうか。

いや、そもそも早めに断らないから入会の意思があると捉えて説明を続けてくれているのか。

 

このような事が頭の中をぐるぐると回り、ただ帰りたいだけなのにストレスが蓄積されていく。

 

そして

 

すみません!大丈夫です!

 

その一言が言えない自分に嫌気がさす。

 

なんとか説明を全部聞き、検討しますと帰ったが

 

帰り道に、そもそも勧誘しやすそうと思われたのかな。

 

などと考えてしまい。

 

意思が無い人間のように見えたのかもしれない。

 

そう思って、また落ち込む。

 

もはや仕事とは関係無いところでこんなにも落ち込むようになってしまって、社会復帰など出来るのだろうか。

 

とにかく、とても落ち込んだ。

 

皆さまはそんなご経験はあるだろうか。

 

ではまた。

生い立ち(小学生期)

5月末頃から脱力感に襲われていて、やらなければいけない事が全く捗らない筆者。

 

とてつもなく焦っていて悪循環。

 

皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

 

今回は少し自分の自己紹介というか、昔話というか

 

そういった事を綴っていこうと思う。

 

祖母 父 母 筆者 弟 という5人家族で、両親は共働きだったため、幼少期は祖母か家政婦さんに面倒を見てもらっていた。

 

祖母も家政婦さんも優しかった記憶があるが、父が厳しく暴力が絶えない家庭だった。

 

何か父の機嫌を損ねる事があれば、家の中がひっくり返るくらい暴れ、祖母は分厚いスリッパで叩かれたり、母は身体中がアザだらけだった。弟はタバコの火を腕に当てられていたこともあった。

 

マンション住まいだったが、怒鳴り声が大きく、隣人が心配して訪ねたきたり、警察沙汰になった事もある。

 

そんな父の機嫌を損ねないように、顔色を伺いじっと自分を押し殺して我慢をする生活を送った。

 

あまりの暴力の酷さに、母と弟と3人で父を殺そうかと話した事もあった程だ。

 

やりたい事はやらせて貰えず、サッカーや野球などスポーツに興味があったが、部屋に閉じ込められて勉強をしろと言われていた。

 

そんな中、離婚の話が持ち上がる。

 

小学校4年生の頃だ。

 

やっとこの生活から開放される。

 

ビクビクしながら過ごさなくて良いんだ。

 

小学校も転校する事になると言われたが、それ以上に今の状況から抜け出したかった。

 

その事を同級生に話したら、みんな寂しがってくれて、送別品を渡してくれた。

 

 

しかし、そう簡単に話は進まなかった。

 

確かに離婚はした。

 

離婚はしたが、引越しをしない。

 

状況が理解出来ない。

 

同級生からは嘘を付いて送別品を貰ったと思われ、少しずつ離れていく。

 

卒業する頃には、友達と呼べる友達は居なくなっていた。

 

この頃くらいから、少しずつ人を信じる事が難しく疑ってかかるようになったのかもしれない。

 

母に何故別居をしないのかと聞いた。

 

答えは単純明快だった。

 

金だ。

 

マンションは賃貸ではなく持家だったため、ローンを折半しながら筆者と弟を養い、新しい家で生活していける収入が無かった。

 

そこから奇妙な生活が始まった。

 

両親と暮らしているが、離婚している。

 

子供ながらに、他人に聞かれた時に説明に困る。

 

そして普通ではないと思われて、警戒される。

 

今はもうそういう時代ではなくなってきていて、理解がある人もたくさんいるが

 

20年近く前はそういった風潮がまだあったように思う。

 

そして中学校に上がる。

 

中学校はほとんど卒業した小学校の生徒が通う。

 

そこに近隣の何校かの生徒も混じるようなイメージだ。

 

何が言いたいかというと

 

小学校で友達がほとんど居ないと、中学校ではそれを引き継ぐ事になる。

 

小学校の頃にスポーツなどをしていれば、近隣の小学校とも関係を持てるのだが、そういった事はさせて貰えなかった。

 

しかも家庭環境が悪く、嘘を付く奴だというレッテルも貼られている。

 

中学校生活はそんなスタートだった。

 

この続きは、次回話そうと思う。

 

ではまた。

お前のせいだ

全部お前のせいだ。

 

…と言えたらどんなに楽だろうか。

 

筆者が2度目の適応障害を発症したのには、明確な理由がある。

 

直属の上司だ。

 

詳細を記載すると思い出して辛いので割愛するが、筆者からするととても理不尽な人間だった。

 

仕事とは無関係な事を言われたり、人格否定と捉えても良いのではないかと思うこともあった。

 

そしてある日、出勤出来なくなった。

 

医師から適応障害の診断を受け、休職の連絡をするタイミングで1度マネージャーと電話で話をした。

 

その時

 

何か言っておきたい事はありますか?

 

と聞かれた。

 

言っておきたい事はたくさんあった。

 

伝えたいこともたくさんあった。

 

でも、何も言えなかった。

 

何故なら、何処かで自分に否があるのではないかと考えてしまうからだ。

 

筆者が直属の上司から受けて事を、包み隠さず自分の目線でも良いから話せていれば、何か伝わったかもしれない。

 

でも、言えなかった。

 

結局、その環境に耐え切れなかった自分が悪いんだ。

 

だから、何も言う資格はない。

 

そう考えてしまったからだ。

 

でもきっと、こういった考え方をしてしまう事が自分を責める事に繋がり、自分を追い込んでいく。

 

そして結果的に心に支障が出てしまう。

 

1度目の適応障害で理解は出来ていたはずだが、直面すると何も出来ないものだ。

 

自分の事を棚に上げて

 

全部お前が悪い!全部お前のせいだ!

 

そう言えたらどんなに楽だろうか。

 

でも自分には出来ない。

 

やはり自分が至らないと思ってしまう。

 

この泥沼化したループから抜け出したいが、まだまだ自分が納得いく答えは出せないみたいだ。

 

この記事を読んでくださっているあなたも、似た経験は無いだろうか?

 

もし解決策を見出した方がいれば、是非ご教授願いたい。

 

ではまた。